元祖yajiri

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100 - 電脳コイルを見た。

今更ながら電脳コイルを見た。

2007年5月から同12月にかけて放映された作品で、2019年で放送開始から12年を迎えるわけだ。

ハッキリ言ってNot for me.な作品で、2007年当時に見たとしても、その後の2019年までの間のどこかで見たとしても、刺さりはしなかっただろう。まあ、今の僕がそう思うだけで、2007年当時の僕や、あるいは2010年くらいの僕に見せればドハマりするかもしれない。確かめようは無いが。

刺さらなかった理由としては、メタタグや暗号が「魔法」として扱われ過ぎているところだろうか。高度に発達した技術は、という有名な言葉があるが、2020年代の近未来、2007年と地続きの街の中で、電脳の魔法を使われても白けてしまった。その上僕はARの未来は訪れなかったという現実の結果も加味して見てしまってもいるし、どういうわけだかウェアラブル機器への希望を失ってしまったので、ガジェットが示す近未来へのワクワク感はなく、作品世界への没入は得られず、いい視聴体験ではなかった。

加えて言い訳をさせてもらうなら、僕は電脳コイルのことをヤサコとイサコのバディ物だと思い込んでいた。そのためスムーズに作品に入り込めなかった、というのもある。物語の終盤まで二人は別のグループとして活動していく。だからこそ最終話が面白い所ではあるのだけれど。

 

さて、そんな電脳コイルだったが、それでもアニメーションの面白さが画面からあふれ出していた。

キャラクターの運動の丁寧さ、サッチーやオートマトンたちの防壁通過の表現、メタタグや暗号の光、街行く人々の様態、朝焼けや夕暮れの美しさ。誠実に描かれた作品世界が、ややもすると嘘っぽくなりそうな近未来を地続きの物としてしっかりと根付かせてくれていた。

また本作では様々な理由でキャラクターが走り回るが、走ってるだけで面白いというのは中々ない体験だった。

メタバグの生態も面白いものだった。代表的なエピソードとしては魚や首長竜、ヒゲあたりがパっと思い浮かぶが、どれもこれも大いに楽しんだ。


そういえば音楽が斎藤さんで、ファフナーのサントラをよく聞いてたせいか、OPの映像に平和だった時期の龍宮島を感じてしまい、毎回ウルっときていた。

こうして見終わってから思い返してみて、ピアノと弦楽器を用いた優しい音楽が、各所でそっと物語を支えてくれていたのを今更ながらに気付いた。


まあ、なんだかんだと書いてきたが、23話から最終話までが面白かったので、終わりよければすべてよし、ということで、最後に一言を告げて終わることとしよう。


「みちこさんは二人の子供」って百合じゃん!!!!!!!!