元祖yajiri

元祖と本家で係争中

157 - 記憶に頼って語るのよくない

ある個人による過去の出来事への語りに対して、別の角度から「そんなことはなかった」「時系列がおかしい」「全然違うんですけど」とツッコミが入ることがたまによくある。

過去の出来事を語る際に、そもそものスタートとしてその出来事から受け取った情報の差もあるので個々人間で認識が一致するというのは難しい。
ある人物が「あれはいい出来事だった」と語る一方で、別の人が「あれはとても嫌なものだった」と吐露することは往々にしてある。上の立場から、恩恵を受け取れる側から見えるものと、下の立場から、搾取される側から見えるものは違う。また思い出の美化、あるいは実際よりも悪く受け止めるのは止められない。
当然のことだろう。
それによって両者のギャップが表出し、対話がなされ、何かが変わっていく可能性が生まれる。なので人によって同じ出来事に対して違う語り口が出てくること自体はしょうがない。

とはいえ調べれば分かる時系列が間違っていたり、なかったことをあったことにされるのは我慢ならないよなぁ、とは思う。
僕自身、過去の出来事への認識が間違っていることは度々ある。しかし記憶ではなく記録を紐解くことで認識が正され、それに引きずられて「ああ、あれはそういうことだったのか」と得心することがある。そういう手間をかけずに自身の認識だけで過去を語るのは避けたいところだ。
ボコボコにされて当然だろう。
過去を語るなら手間をかけろ。手軽さがインターネットの長所だ。それを捨てるのは惜しい。我慢もできない。自分の記憶を疑うことを知らない人の方が多い。しかし記憶は簡単に歪む。そもそもスタートの時点の認識がおかしいのはよくある。だからこそ、誠実であってほしい。記録にあたってほしい。
そしておかしいことを言ってる人を見かけたらボコボコにしていこう。ボコボコにされたくない……。