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176 - 紙魚はまだ死なない(リフロー型電子書籍化不可能小説合同誌)感想

sasaboushi.net
何度目かの電子書籍元年を経て実際に売り上げ的にも電子書籍が台頭し、特に文字情報を主とした小説やエッセイなどは手軽な電子化手法の普及と共にプロでなくても電子版の配布・販売が可能となったこの令和の世に、紙書籍での表現を追求した一冊。
どういう狙いで作られたものか、上記サイトの「まえがき」をご覧いただきたい。
本来なら文学フリマでの販売予定だったが、このご時世の為に通販での取引となり、5月4日時点では完売したようだ。
希望者が多く集まれば再販もするようで、増版に期待したい。これを多くの人に届けないのはもったいないから。

さて、以下に感想を記していく。ネタバレには配慮しない。



1.春霞エンタングルメント(cydnianbanana)
主に上中下三段組で、右から左へと流れていくタイムラインを構成しているのが面白い。年表のような表現で、制度であったり国であったりの統廃合、分裂があるとこういう表記が便利なのだが、最上段と最下段で現わされる二人の視点には近接し、中段で現わされる周辺状況に関しては歴史にように俯瞰しているのが興味深い。
エンタングルメント=量子もつれ、とわざわざ読み替える必要はないかもしれないけれど、この作品のタイトルが量子もつれではなくエンタングルメントであったことには一定の狙いがあったように思う。作中で四十光分の差をもって通信するトマとニナは実際に対面することは叶わない。そこに付随する感情のもつれが量子力学的な情の通わない(いくら願っても法則に従う)エンタングルメントに人の温かさを通す。そのような物語であったと思う。
またニュートン物理学が物語学と邂逅したことによりその役割を変えたが、量子力学はまだ手中に収め切れていないポストニュートン・プレクォンタムという時期がまさに春霞のようであり、その時期に登場した物語学(物語)の儚さと物語が持つ心に占める素晴らしさを説いていたのではないだろうか。


2.しのはら荘にようこそ!(ソルト佐藤)
しのはら荘にある四つの部屋を巡る物語。この四つというのがリフロー不可能の肝で、見開き二ページを四分割してそれぞれを一部屋に見立てて物語は進んでいく。
部屋ごとに表現する筆致はバラバラで、それはパロディ元の影響ではあるのだけれど、同時に、我々が普段生きる中で隣人の生活がどうなっているのか分からないことを表現してもいる。そしてそれら四部屋の物語を繋ぐのは謎めいた管理人さんであり、同じ一人の人物であるはずなのにそれぞれの住人に対して違った顔を見せ、果たして本当にこの管理人さんは同一人物なのだろうか、と思わせてくる。これもまた一人の人間が持つ多面性を表現したものであり、人の生活への視座に驚かされる。
描かれないことは描かれない小説らしさを利用して誘われたミスリードにはまんまとハマってしまって面白かった。また背景に透かしで描かれる六畳間の住人たちや、天井裏を移動する住人の影が紙面にいるのもリフロー不可らしく、物語の読解を助けながらも面白さを付与していた。


3.中労委令36.10.16三光インテック事件(判レビ1357.82)(皆月蒼葉)
判例レビューという体裁を取りながら、読み解いていくことで繰り広げられたドラマが浮かんでくる稀有な作品。
以前、武士の家計簿という映画があったが、原作とされるのは新書で、史学を知らない人に向けた"読み物"が、物語として映像化された作品だった。それを思い起こさせられた。
さて、本作で引っ掛かりを覚えるのは能権法とオピノベーションであろう。令和三十六年を舞台としているから未来に現れる言葉たちなのだろう、ということから、この作品がSFであることに気付かされるのは白眉。また1号主体、2号主体という呼び方や、ポリコレ的2号主体の呼び方・セカンズなど、現実の延長線上にありそうな要素の散りばめ方にニヤリとさせられた。
SFを卑近な事例に当てはめて読むのはどうかと思いつつも、僕はこの作品の1号主体と2号主体の溝をデジタルディバイドとして、またY1社長Y2部長による2号主体へのハラスメントは、大阪におけるトーキョーモン差別としても読めないことはないなと感じた。つまり隣人への無理解が根底にある差別意識であり、遠い未来(令和36年だとまだ生きてそうなのでそう遠くはないが)の出来事ではなく、現在の生活と地続きに本作の事件は起きている。
それに対抗するために2号主体が用いたのは業務としても行っていたオピノベーションだが、これが後々再検証され暴かれたとき、ここで一度変わった世論がまた変わっていくだろう。その行末が気になる作品だった。
そう、そしてオピノベーションなのだが、読み始めた当初は"セカンズが従事しているのは「広告業及びオピノベーション」"という記述から、innovationにopを付けた胡乱な業態op-innovationだと考えていた。opがなんなのかは作中で明らかになるであろうとも。読み進めオピノベーションとはopinionに対するinnovationと判明したとき、これは本当にinnovationなのだろうか、自由意志に対するinvasionではないだろうかと、ゾっとする思いが走った。
残念ながら自力では解題へ至らなかったが、100円支払っただけの価値はあり、正解を突き付けリフロー不可能の意味を悟ったときに「あーーーー!!」という感覚は随一だった。


4.点対(murashit)
点対においては二行一組のリフロー不可能であることよりも、直列化されていないことの方が大きかったのではないだろうか。
双子の文章たちの連なりではあるが、"どの"双子か明らかにされていない。一読しただけでは把握が難しく、把握をしたと思ってもそれが本当なのか定かではない。
一方でそうしたあやふやな視点がプラスに働いて、その時の話者の想いに考えを馳せるのが苦もなく行える。むしろ考えずにはいられないのは素晴らしかった。
またこれらの効果が最大限に発揮されるのは小説であり、映像や音声での媒体では時系列順に整理されてしまい、そこを崩そうとすると様々な工夫が必要となる。まさに"リフロー不可能"と"小説"の両者を活かした作品だった。
もう何度か読み返してから、改めて感想を記したい。


5.冷たく乾いた(笹帽子)
 イ ン タ ー ス テ ラ ー 
さておき、リフロー不可能と聞いた際に横書きと縦書きの混在及び右閉じと左閉じの混在は常人にも思いつける範囲にあるだろう。しかしだからこそ、それを用いて面白いものを書けるか。自分の中から発せられるその問いに打ち勝たないことには進めることができない。その克己を見せつけられた。
また常人でも思いつける範囲とは言ったものの、その活用の仕方は常人には思いつけない唯一の物が提供されていた。縦書き、横書き、回転、上下逆転、ページをはみ出す、ペテン。その論理の滑らせ方はやはり今回も面白い。いや、今回はまた一段と面白かった。
しかし万能読書機械はどこからやってきたのだろう?


6.ボーイミーツミーツ(鴻上怜)
仕様上、最後に置かれている作品だが、仕様が違っていても最後に置くにふさわしい作品だったと思う。
ゲーム攻略wikiはなんだかんだ僕も利用しており、こういう雰囲気だよねという納得がある。
その上で三体の肉があらゆるパロディを通じながら語り掛け、肉3の説明で基底現実が粘菌世界でファンタジーの上にファンタジーを重ねた物であると判明するあたりはとても興奮した。いや、肉を食べたいとかじゃなくて、知的に。
攻略wikiの宿命として、ゲームの結末は実際にプレイして確認するしかない、というのも大変に気に入った。で、これどこへ行けばやれるんですか?


以上、リフロー可能なブログにて感想を記す。