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312 - 来たるべき因習(ねじれ双角錐群)

この記事は2020年11月20日文学フリマにて初版発行された同人誌「来るべき因習」の感想を記したものです。

本書は「奇祭SF」というテーマの下に書かれた6編のSF小説が載っており、今までねじれ双角錐群の面々が書いてきたものを思うと、そもそもの「奇祭」の定義をからして疑ってかかったようなものを出てくるのを期待させられ、そしてそれに違わず一風変わった「奇祭」が出そろった。
では早速各作品の感想へ行こう。
なおネタバレには配慮しない。

UMC 2273 テイスティングレポート(cydonianbanana)

17年に1度開かれるウィスキーのテイスティングコンテンストという「祭り」についての一作。
現実にテイスティングコンテストはあり、またテイスティングノートがあり、そこからどうやってSFへと飛躍するのかと思えば2273年である。
その2273年に至るまでの間に新・禁酒法が発生したり技術特異点があったりとその歴史の含ませ方が秀逸で、またそうした新しい出来事によって制約が発生し自由にウィスキーが作れない状況下でも酒造への情熱を失わずに研鑽に励み、それまでの常識では考えられないような酒が生み出されていったことが綴られるのはエキサイティングな体験だった。テイスティングノートという体裁の為淡々と書かれているが、その背後にある歴史を感じさせるのはまさにウィスキーのようだった、と言うのはちょっとリップサービスが過ぎるか。
従姉妹とのエピソードを入れるなどのちょっとしたニクいところも業が利いていてよかった。
オーウェン・ローウェン、いったい何者なんだ……。

ハレの日の茉莉花(笹帽子)

富ヶ谷祭はなんでもありだ!
ということで大学?の学園祭を舞台にした作品。学園祭って奇祭なんですか? 奇祭になる学園祭もあるだろうね。
ところで御子柴さんのことを最初はうっそりとした眼鏡の男と思って読んでいたため、梯子を上る時に尻だと言われて「????」となった。実行委員長に対する偏見である。
AI茉莉花によってダークソウルになってしまった富ヶ谷祭だけどダークソウルになる理屈とかはすっ飛ばしてダークソウルになってるのが弱いところだなと思うけど、まぁ計算資源を莫大に投与して演算してるならそういうこともあるわなと納得させられてしまう剛腕っぷりがすごい。ある意味では夢を見せられているようであり、夢を見るというのは祭りであり、だからこそ奇祭なのだろう。
そして祭りの為に生み出されたAIだから祭りのことしか考えられない茉莉花が、ハレとケの概念を得て一段階成長し、祭りが決着となるのは人情味のある解決でいい味をしている。やっぱり祭りは笑顔でなくっちゃね。

ハイパーライト(小林貫)

人類が肉体を捨てる日、それは祭りなのだろうか? 祭りであろう。奇祭なのだろうか? 前代未聞であり、類を見ず、一世一代であり、奇祭であろう。
その日に至るまでに色々な人生があり、定命を選択する者があり、肉体最後の日を好きに生きる人々がいる。確かに祭りの日のそれぞれの祭りへの態度ってそんなもんだよね、というのが描かれていてグッと来た。
しかし何故一度肉体を捨てた祖が再び肉体を得る選択をしたのか、その理由が理由で、また長大な時間の流れの中で選択の理由が失われてしまい繰り返すことになるというのが由来の失われた奇祭のようでもあって上手い。

追善供養のおんために(murashit)

知ってる限りでは古くは「リリィ・シュシュのすべて」や「SCP」、最近(と言ってももうだいぶ経つが)だと「忌録: document X」や「イルミナエ・ファイル」など、ウェブに掲載されているかのような形式で記述された作品は数多くあるが、追善供養のおんためにもそうした作品のひとつとして数えていいだろう。
それらの作品たちと同様に本作でもちょっとしたミステリ形式で書かれていくが、もっと私的なブログという体裁の為にかなり情報の確度が低く、その中で語られる親戚のおじさんという距離感が醸し出す温度感がそうだよねそうだよねと頷かせられた。またフェイクまじりという建前を付けて繰り広げられる一風変わった宗教や地方独自の葬式の方法などは、そういうこともあるのかもしれないしないのかもしれないくらいの正にネットロアとしての実在性を伴っていた。
話のオチとして未来から過去に向けてブログを書いたのでこうなったと受け止めているけれど、それであってるのかはいまいち確証が持てない。

花青素(鴻上怜)

かせいそって読んでアントシアンのことなんですね。この表記には触れたことがなかったのでググりました。
ここで描かれているのは盆の里帰りで、それって奇祭か?と思うけれど、確かに家々で独自のやり方があって、墓参りをするくらいしか共通点がないという意味では奇祭というのも納得である。
とはいえただの盆の里帰りではなく、魔女たちの里帰りでありヘクセンナハトであり、そこで夜を明かして語られるのは実に奇妙な世界樹寄生虫と虫下しの物語だ。
寄生虫と帰省中が掛かっているのに今「帰省中」と書こうとして「寄生虫」が出たので気付いたが、他にもそういうダジャレのようなものがありそうな気がする。なんで姉ななのかもアンセスターとアントシアンが掛け合わさってアンシスターからかな?
夢のように話が入れ替わって、その中で管理社会だったり超科学的な世界樹の虫下しの話があったりとその行き渡る幅が広い。流石は裸の特異点に里帰りする魔女たちだ。

忘れられた文字(石井僚一)

祭りは政(まつりごと)であるということで話し合いならぬ文字合いという奇妙な政(まつりごと)、奇祭を描いた一遍。
人類から読まれなくなり栞を挟まれなくなり物語としての体裁を失った文字たちが、直接民主主義に近い会合を繰り広げる様子を記録しようとするのは一体何者なのか。
ただ確かにそこにある営みが素朴に記され、ははぁ、文字とはこうして成り立っているのだなと思わせる地に足のついた表現は秀逸。



終。