yajiri

成コミ

153 - 寝取られ文脈におけるおねショタ

寝取られの楽しみ方は人の数だけあるが、僕はその中の一つとして「高い壁」というものに注目している。
寝取られは敗北のマゾヒズムに楽しさがあるのだが、その負ける際の理由付けが強固なほど、敗北にカタルシスが生まれる。
この理由付けが「高い壁」だ。

例えば寝取られ作品の竿役は社会的にはクズであるがセックスが上手く女心を掴むのが上手いため彼女を寝取られてしまうとか、逆に有能な人間で女には困ってないないのだが性格が悪く彼のお眼鏡に叶ってしまったために彼女を寝取られてしまうとか、視点人物からすると「なんでこんなことに……」となるような、どうしようもなさ、やるせなさが生まれるような人物が配される。
他にも緑のルーペ先生は宇宙生物である「虫」に人類種の女性全体が苗床として「寝取られる」壮大な物語を発表しているし、異種姦物が寝取られの文脈において強いポジションにいるのは、亜人などのいわゆる被差別民が愛しい者を奪っていく悔しさが発生しやすいためだろう。ちなみに現実にも「黒人チンポに負けた白人女性いいよね……」みたいなコミュニティがあるらしい。

つまり竿役にはある種の欠点があり、そして欠点をセックスで覆すような人物が用意されることが多い。この欠点こそが「高い壁」の役割を果たす。こんな欠点のある人物(存在)に負けたくはない、その気持ちが強ければ強いほど寝取られは光を放つ。

そういう中で「悪ガキ」も高い壁としての要素を満たすな、と気付いた。別に悪ガキでなくてもよく、いじめられっ子の子どもに優しい彼女が絆されて、などでもよい。
つまり「こんな子どもにすら僕は負けるのか……」という絶望が寝取られをより面白くする。

ただ問題点として、おねショタジャンルとのカテゴリエラーが各所で発生しているのが観測される。
現在おねショタはおねえちゃん優位、ショタ優位、寝取られの竿役の三つが入り乱れ、混沌としているのだ。
ただ今の寝取られなどはパッケージの時点で表記されるし、そこを敢えて飛び込んでイチャモンを付けるのはルール違反だろう。上手く棲み分けて欲しい。


ところで寝取られにもトレンドがあって、あるニッチが満たされると次のニッチが発掘されるのだが、催眠NTRが安パイになり、母親や叔母などの姉以外の年上の親族が主力ニッチになり、次期ニッチとして更に新しいものが出てきそうな気配を感じる。楽しみだ。

152 - 初心者向けに書くのって難しい

「初心者向け」「初学者のための」などを謳いながら、初心者には難解な本というのが世の中にある。
具体的な本を今は思いつかないのだが、何かしら思い当たるところがある人は多いのではないだろうか。

身近な例として、スポーツをやっていると「胸を張れ」と言われることがあるが、あれで要求されているのは肩周辺の関節と背骨、首が適切なポジションに配置され、その結果として次の動作に繋げやすい状態を作ることで、単純に胸を張るだけだと余計な力みが発生し、目的を果たさない。つまり初心者には「胸を張れ」では全然伝わらない。
だけども「胸を張れ」という言い方はけっこう引き継がれているような気がする。

そういった初心者には伝わらない言い方や本は何故生まれるのだろうか。
それは出来るようになった人のアンチョコだからだと思う。

ある程度のレベルに達したときに、そこまでに使った技法をまとめる。そしてそれは初心者の頃に使ったものだから、「初心者向け」と銘打ってしまう。しかし出来るようになったから理解できる言い回しと、出来ないときに理解の手助けとなる伝え方は微妙にズレている。その齟齬が「初心者には伝わらない初心者向け」の発生を助けるのだろう。
また出来る人にはその言い方、書き方で伝わるのも確かで、誰かにチェックを頼んだとしても、出来る人同士では伝わってしまう。そのためチェックが用をなさない。
これらふたつを主要因としているような気がする。

全て想像でしかないが。


ではどのような初心者向けが優れているかだが、これが難しい。
僕が初心者向けの本で欲しいのは、原理原則の試行錯誤を含んだ詳説と、その技術が生まれた歴史的背景、失敗事例集なんだが、これが最適解というわけでもないだろう。
優れた解説書の共通点はこれだ、というのがあればご教授願いたい。

151 - 美術館や博物館で酔う

目玉の展示があるときは人酔いするし、目玉の展示がないときは作品酔いするので、基本的に美術館や博物館を出るとヘトヘトになってしまい気持ち悪いことが多い。
作品酔いに関しては、美術館巡りに関する記事で「全部を見ようとすると土台無理なので、気に入ったのだけ見ればいいよ」というのを見かけて以来、気を付けてはいるんだけど、お出かけする日ってもう走り回る犬状態になってしまいドライブ掛かって「やるぞーっ!」となっていて、中々コントロールができない。
あと前後の文脈をちゃんと把握しているわけではなく来場するので、「流れ」を意図して配置されている展示を全部を吟味していく必要を感じてしまって手が抜けないというのもあるかもしれない。
まぁなんにせよ己の性分と不明が為すところなのでどうしようもない。


ところで美術館や博物館には併設でレストランが付いていて、地酒が飲めたりする場所もあるが、あそこで酔うのをやってみたいと思いつつ、機会を逃し続けている。ちょっと値段の張るいいお店があったりするんだけど。