元祖yajiri

元祖と本家で係争中

327 - 放課後のプレアデスを見た!

再びdアニメストア放課後のプレアデスが入ったの機にようやく見た。
実は2015年の放送当時、2話のインメルマンターンあたりで面白くないなと思って視聴を中断している。今見るとあのシーンがとても楽しく、過去の自分が何を見てそう評価していたのかが断絶してしまった。ウーム……。

さて、可能性世界の話というのは様々な物語を生み出していて、BTTFは映画史に残る金字塔だし、シュタインズゲートは大ヒットしたし、スクールガールストライカーズなんかは正にそうだし、選ばれなかった可能性の話は「あかねさす少女」を思い出した。
そういう中で放課後のプレアデスの可能性の話というのは、宇宙船を直すとても大きな物語の横で、等身大の少女たちの未来を考える小さな小さな物語で、それがとんでもなく面白かった。
宇宙船を直すこと自体はどうでもいいというか、直すことが確かに目的で、その為に色んなことがあって、努力して、泣いて、笑って、喧嘩して、仲直りして、恋して、とにかくたくさんの想いが生まれ、それが原動力となって終幕を迎える。
なんというか、セカイ系の構造なんだけど、個人によって世界が変わるということへの着目の仕方がとても優しくて嬉しいお話だった。

それとAnmi先生がなー! すげーなー! あんなもん見せられたらそりゃみんな落ちるヨ。

お気に入りは第8話「ななこ13」
あまりにも多くの人が挙げている第8話だが、僕ももうこれしか考えられないと思う。

326 - 三ツ星カラーズを見た!

アニガサキを作った人が以前に何を作っていたのかを追いかけようと思い、前回のゆるキャン△(脚本・田中仁さん)に続いて監督・河村智之さんとデザインワークス・めばちさんが関わっていた三ツ星カラーズを見ることにした。
そういう動機で見ているので三ツ星カラーズの感想としては正当ではなく色眼鏡がかかった物になるが、どうかお付き合いいただきたい。


さて、アニガサキ目線で三ツ星カラーズを見た際にまず目に付くのはOPアニメーションだろう。
キャラクターごとのカラートーンで統一されたコミック的な絵と、音にあわせて小気味よく動いていくキャラクターたち、そして最後に「カラーズ・ジャンプ!」で現実の上野を背景にフルカラーになるカラーズたちというMV的な作りは、アニガサキでのライブシーンに通ずる物がある。
このOPの面白さがちょっとどうかしていて、ずっとOPだけ見ていても飽きない。

他にもアメ横を中心に上野の街をカラーズたちが練り歩いていく姿は、アニガサキ1話を始めとした買い物のシーンなどにも似たようなカメラワークが見られる。街に対する視線の向け方は同じ人が監督したのを納得するところが多い。

一方で人物へのカメラのフォーカスの仕方は三ツ星カラーズとアニガサキでは大きく異なる。
アニガサキでは「スクールアイドル」へとカメラが向けられ、それはそれはドラマチックに、明と暗、階段や建物の上と下、画面の左右・奥手前などなど、上手下手を活用した画面作りが成されている。それに対して三ツ星カラーズでは街も人も程よく力の抜けた感じで写され、カラーズたち子供からの目線らしさを意識した視線の低さやクローズアップがされていた。
またよく上野の街が映し出されているが、ゆるキャン△などと比較すると別段ドラマチックというわけでもなく、スラーっと流されているような、背景美術としてしっかりと地に足の着いたものがあるものの、抜群という程でもない。

EDがめばちさんの手によるものというのもアニガサキとの共通点である。写真をモチーフにカラーズたちの様々な様子を描いていくが、あいだあいだに挟まる上野に実際にある像などによって、現実をアニメに、アニメを現実に重ね合わせる手腕が光る。

総じて「確かにこの人たちがアニガサキを作るの分かるけど結構違うなー、カツヲ先生の味が強いのかな?」という感じだ。




と、考えていたのだが、この見方は間違っていた。
きっかけとなったのは「アイドルと観客の共犯関係」と「三ツ星カラーズは街がもうひとりの主人公とも言われていますからね」のふたつの言葉だ。


まず「共犯関係」について。

アニガサキにおいてアイドルと共犯関係を結ぶ代表は高咲侑である。
これはアニメ・ゲームなどを問わず、多くの作品のスタッフロールの末尾にあるお約束のand you.のYouであり、観客を意味する。
そして「アイドルと観客の共犯関係」は作中の至る所で描かれている。中でも12話、13話の活躍を見れば言葉を重ねる必要はないだろう。
またスクールアイドルフェスティバルの開催によってそれまで密接には関わってこなかった虹ヶ咲に通う生徒たちも「共犯者」となって立ち上がってくる。学校全体が、街全体が「アイドルと観客の共犯関係」となって盛り上がる。あの楽しさは正に「祭り」であり、東京ビッグサイトという催事場周辺を舞台にした作品のアンサーとして素晴らしい物だった。

一方、三ツ星カラーズにおいてカラーズが街を縦横無尽に駆け巡り、その中で街の人々は彼女たちがしている不思議な行いに付き合ってあげたり、いたずらをされても飲み込んだり怒ったりしている。それは街の人々が彼女たちを認めているから、つまり「共犯関係」を結んでいるからに他ならない。
代表的なのは鯨岡さんだろうし、斎藤さんなんかもカラーズたちのことを「またか……」と思いながらも守るべき街の人々として見守っている。
他にも街の人たちがバナナを買ってくれたり、花見客がイチゴを買ってくれたりというのも、共犯関係の一面と見てしまってもいいだろう。
つまり街全体がカラーズと共犯関係にあり、ここに「アイドルと観客の共犯関係」と同等のものを見ることが可能だ。


次に「もうひとりの主人公」について。

アニガサキの「主人公」が"スクールアイドル"であり、「もうひとりの主人公」が"高咲侑(あるいは虹ヶ咲に通う生徒達)"であることは言葉を重ねる必要はないだろう。
アプリの「あなた」からスタートしたYouがand youになりwith youへと変わり、一歩を踏み出す。アイドルが人を勇気づけるものであるならば、勇気づけられた人を主格として描くのも間違いではない。その試みには多くの人が胸を打たれたことだろう。

では三ツ星カラーズの「主人公」が"カラーズたち"であるのは明白だが、「もうひとりの主人公」が"上野の街"というのはどういうことだろうか。
これは観念的な物を扱うので説明が難しいのだが、おやじや斎藤、ももかなどのキャラクターが登場せずとも、上野の街の情景をただ写しているシーンが多数存在するのが鍵となる。
そこをカラーズたちが駆け抜けていく場合もあれば、そういうことすらなく、本当にただただ街の様子が描かれているだけの場合もある。
初見時には「いくら日常を描いた作品とはいえ街の様子を写し過ぎではないだろうか」と思っていたが、これは見方が間違っていたのだ。あれが何の為に置かれていたかと言えば、アニガサキが「もうひとりの主人公」として高咲侑の様子を描いたように、三ツ星カラーズでは「もうひとりの主人公」として上野の街がただそこにある様子を描いていたのだ。

そう考えると三ツ星カラーズであれほど街の様子が写され、また(アニガサキと比して)ドラマチックとはいえないキャラクター描写があり、(アニガサキと比して)淡々としたカメラワークだったのか、その理由が分かる。
アニガサキがアイドルと観客を同格と見なしてカメラを置いたのに対し、三ツ星カラーズはカラーズと街を同格と見なしてカメラを置いている。三ツ星カラーズにおいて街の様子を描写することは「なにもない」わけではなく「主人公を今、カメラに収めている」ことになるのだ。「なにもないがある」などという言葉もあるが、キャラクターが登場しなければ何も描かれていないということはない。今までに何度もそういった作品を見てきたが、また今回も「なにもない」に気付くことができなかった。恥ずかしい……。
そう気付いてから改めて三ツ星カラーズを見ると、ドラマチックではない描写の数々が街とカラーズを同じ重さで扱っているからこそだと分かる。例えばカラーズはそれぞれにカラーモチーフを持っている割にパステルっぽくビビッドではない薄味に描かれている。これは街から立ち上がり過ぎないためのものだったわけだ。

言い換えると、アニガサキが「アイドルを捉えるカメラで観客(侑=You)を捉えた物」であるならば、三ツ星カラーズは「街を捉えるカメラでカラーズたちを捉えた物」なのだ。

気付いてしまうと思っていた以上に三ツ星カラーズとアニガサキは地続きのものだった。すごい……。



さておき、お気に入りは#07「トリック オア トリート!」だ。
アニガサキでもタッグを組んでいるほりうちゆうやさんがコンテ・演出を担当している回で、上野の街全体を巻き込んでハロウィンの遊びとしてゾンビを増やすゲームをする。
もうストレートにアニガサキのスクールアイドルフェスティバルじゃん!と思ってしまった。
ちなみにアニガサキでのほりうちさんの担当は1話、6話、9話、13話で、すげえところを任されているし、三ツ星カラーズでの担当回もすげえ納得がある。



と、まぁ、2月に見終わってからだいぶ時間が経ってしまったが、三ツ星カラーズの感想である。

325 - ガルラジ特別編'21 吉田文音と穂波明莉のみみもとティータイムを聞いた!

listengo.dwango.jp
ガルラジ特別編'21の第7回となる「吉田文音と穂波明莉のみみもとティータイム」が、3月5日金曜日16時ごろ公開されました。


事あるごとに言ってきたんですが、吉田文音さんと穂波明莉さんの組み合わせが一体どうなってしまうのか予想が付かず、ある意味で不安、ある意味で楽しみな気持ちで公開を迎えました。
だってあの二人が一緒に過ごしている様子って思い浮かばなかったんですよね。
それが明莉ちゃんの「怪奇(吉田)への探求」を軸にすることでああいう形へと向かっていったのはとても面白かったし、すっきりと綺麗にハマってよかったですね。
ガルラジを利用して何か他の目標を達成する為に集まったメンバーが、ガルラジを通して変化していって、ガルラジの為に再び集まる。ガルラジ特別編'21はそういう面もあったと思うのですが、吉田さんは当初他のパーソナリティとは違って運営サイドとして参加してて、その違いが改めて分かったのがすごい……。すごい以外の言葉が浮かびません。

特に徳光2-4を含めての当時の振り返り。
徳光2-4があったから僕らはこんなことになっちゃったと言っても過言ではないと思うんですが、それはパーソナリティ、メタなところでは演じている声優さんや運営も含めてもそうで、それを当事者の視点から喋ってもらえるのはありがたい……と言っていいんでしょうか、ありがたいものでした。
またガルラジ特別編'21では「いつもと違う相手だから喋れること」という楽しさと、「時間が経ったから喋れること」という楽しさがあったんだなと気付かされました。
他のフィクションでも後から振り返る様子は描かれますが、時間が現実と一致しているガルラジだからこその振り返り方とでも言うのでしょうか。当時と今の感情の大きさの変化がスッと納まるべきところに納まるように感じたんですよね。そこに含まれる後悔や、それでも当時の自分にはああすることしかできなかったという諦念、それはそれとして今を精一杯やるしかないという覚悟のようなもの。色んな感情がない交ぜになったのがすごくよくわかるような、そんな振り返りでした。

そんなこんなで特別企画も二兎春花さんが歌うことでまとまって、後日に配信でもするのかな?と思っていたら、特別編2のお知らせが!
今回も事前に声優さんにお知らせしてない!? しんみりしてたのを返せ!! いや嬉しい!!!!
本当にみんなガルラジが大好きすぎて、2021年もガルラジしていくしかない気にさせられました。

あとアフタートークの「吉田」のくだりは笑ってしまいました。

2021年もガルラジ。
この言葉を僕は正直3月までのものだと思っていましたが、やるらしいし、やってくれるらしいので、全力でガルラジストしていきます。
というわけで、この言葉で全7回の記事を締めくくりましょう。

またね~!