元祖yajiri

元祖と本家で係争中

326 - 三ツ星カラーズを見た!

アニガサキを作った人が以前に何を作っていたのかを追いかけようと思い、前回のゆるキャン△(脚本・田中仁さん)に続いて監督・河村智之さんとデザインワークス・めばちさんが関わっていた三ツ星カラーズを見ることにした。
そういう動機で見ているので三ツ星カラーズの感想としては正当ではなく色眼鏡がかかった物になるが、どうかお付き合いいただきたい。


さて、アニガサキ目線で三ツ星カラーズを見た際にまず目に付くのはOPアニメーションだろう。
キャラクターごとのカラートーンで統一されたコミック的な絵と、音にあわせて小気味よく動いていくキャラクターたち、そして最後に「カラーズ・ジャンプ!」で現実の上野を背景にフルカラーになるカラーズたちというMV的な作りは、アニガサキでのライブシーンに通ずる物がある。
このOPの面白さがちょっとどうかしていて、ずっとOPだけ見ていても飽きない。

他にもアメ横を中心に上野の街をカラーズたちが練り歩いていく姿は、アニガサキ1話を始めとした買い物のシーンなどにも似たようなカメラワークが見られる。街に対する視線の向け方は同じ人が監督したのを納得するところが多い。

一方で人物へのカメラのフォーカスの仕方は三ツ星カラーズとアニガサキでは大きく異なる。
アニガサキでは「スクールアイドル」へとカメラが向けられ、それはそれはドラマチックに、明と暗、階段や建物の上と下、画面の左右・奥手前などなど、上手下手を活用した画面作りが成されている。それに対して三ツ星カラーズでは街も人も程よく力の抜けた感じで写され、カラーズたち子供からの目線らしさを意識した視線の低さやクローズアップがされていた。
またよく上野の街が映し出されているが、ゆるキャン△などと比較すると別段ドラマチックというわけでもなく、スラーっと流されているような、背景美術としてしっかりと地に足の着いたものがあるものの、抜群という程でもない。

EDがめばちさんの手によるものというのもアニガサキとの共通点である。写真をモチーフにカラーズたちの様々な様子を描いていくが、あいだあいだに挟まる上野に実際にある像などによって、現実をアニメに、アニメを現実に重ね合わせる手腕が光る。

総じて「確かにこの人たちがアニガサキを作るの分かるけど結構違うなー、カツヲ先生の味が強いのかな?」という感じだ。




と、考えていたのだが、この見方は間違っていた。
きっかけとなったのは「アイドルと観客の共犯関係」と「三ツ星カラーズは街がもうひとりの主人公とも言われていますからね」のふたつの言葉だ。


まず「共犯関係」について。

アニガサキにおいてアイドルと共犯関係を結ぶ代表は高咲侑である。
これはアニメ・ゲームなどを問わず、多くの作品のスタッフロールの末尾にあるお約束のand you.のYouであり、観客を意味する。
そして「アイドルと観客の共犯関係」は作中の至る所で描かれている。中でも12話、13話の活躍を見れば言葉を重ねる必要はないだろう。
またスクールアイドルフェスティバルの開催によってそれまで密接には関わってこなかった虹ヶ咲に通う生徒たちも「共犯者」となって立ち上がってくる。学校全体が、街全体が「アイドルと観客の共犯関係」となって盛り上がる。あの楽しさは正に「祭り」であり、東京ビッグサイトという催事場周辺を舞台にした作品のアンサーとして素晴らしい物だった。

一方、三ツ星カラーズにおいてカラーズが街を縦横無尽に駆け巡り、その中で街の人々は彼女たちがしている不思議な行いに付き合ってあげたり、いたずらをされても飲み込んだり怒ったりしている。それは街の人々が彼女たちを認めているから、つまり「共犯関係」を結んでいるからに他ならない。
代表的なのは鯨岡さんだろうし、斎藤さんなんかもカラーズたちのことを「またか……」と思いながらも守るべき街の人々として見守っている。
他にも街の人たちがバナナを買ってくれたり、花見客がイチゴを買ってくれたりというのも、共犯関係の一面と見てしまってもいいだろう。
つまり街全体がカラーズと共犯関係にあり、ここに「アイドルと観客の共犯関係」と同等のものを見ることが可能だ。


次に「もうひとりの主人公」について。

アニガサキの「主人公」が"スクールアイドル"であり、「もうひとりの主人公」が"高咲侑(あるいは虹ヶ咲に通う生徒達)"であることは言葉を重ねる必要はないだろう。
アプリの「あなた」からスタートしたYouがand youになりwith youへと変わり、一歩を踏み出す。アイドルが人を勇気づけるものであるならば、勇気づけられた人を主格として描くのも間違いではない。その試みには多くの人が胸を打たれたことだろう。

では三ツ星カラーズの「主人公」が"カラーズたち"であるのは明白だが、「もうひとりの主人公」が"上野の街"というのはどういうことだろうか。
これは観念的な物を扱うので説明が難しいのだが、おやじや斎藤、ももかなどのキャラクターが登場せずとも、上野の街の情景をただ写しているシーンが多数存在するのが鍵となる。
そこをカラーズたちが駆け抜けていく場合もあれば、そういうことすらなく、本当にただただ街の様子が描かれているだけの場合もある。
初見時には「いくら日常を描いた作品とはいえ街の様子を写し過ぎではないだろうか」と思っていたが、これは見方が間違っていたのだ。あれが何の為に置かれていたかと言えば、アニガサキが「もうひとりの主人公」として高咲侑の様子を描いたように、三ツ星カラーズでは「もうひとりの主人公」として上野の街がただそこにある様子を描いていたのだ。

そう考えると三ツ星カラーズであれほど街の様子が写され、また(アニガサキと比して)ドラマチックとはいえないキャラクター描写があり、(アニガサキと比して)淡々としたカメラワークだったのか、その理由が分かる。
アニガサキがアイドルと観客を同格と見なしてカメラを置いたのに対し、三ツ星カラーズはカラーズと街を同格と見なしてカメラを置いている。三ツ星カラーズにおいて街の様子を描写することは「なにもない」わけではなく「主人公を今、カメラに収めている」ことになるのだ。「なにもないがある」などという言葉もあるが、キャラクターが登場しなければ何も描かれていないということはない。今までに何度もそういった作品を見てきたが、また今回も「なにもない」に気付くことができなかった。恥ずかしい……。
そう気付いてから改めて三ツ星カラーズを見ると、ドラマチックではない描写の数々が街とカラーズを同じ重さで扱っているからこそだと分かる。例えばカラーズはそれぞれにカラーモチーフを持っている割にパステルっぽくビビッドではない薄味に描かれている。これは街から立ち上がり過ぎないためのものだったわけだ。

言い換えると、アニガサキが「アイドルを捉えるカメラで観客(侑=You)を捉えた物」であるならば、三ツ星カラーズは「街を捉えるカメラでカラーズたちを捉えた物」なのだ。

気付いてしまうと思っていた以上に三ツ星カラーズとアニガサキは地続きのものだった。すごい……。



さておき、お気に入りは#07「トリック オア トリート!」だ。
アニガサキでもタッグを組んでいるほりうちゆうやさんがコンテ・演出を担当している回で、上野の街全体を巻き込んでハロウィンの遊びとしてゾンビを増やすゲームをする。
もうストレートにアニガサキのスクールアイドルフェスティバルじゃん!と思ってしまった。
ちなみにアニガサキでのほりうちさんの担当は1話、6話、9話、13話で、すげえところを任されているし、三ツ星カラーズでの担当回もすげえ納得がある。



と、まぁ、2月に見終わってからだいぶ時間が経ってしまったが、三ツ星カラーズの感想である。